尾形の生い立ち

今回は、サイドFIREを目指すブロガー・尾形の生い立ちについてご紹介します。
この記事で「サイドFIREを目指すきっかけ」をご理解いただけると思います。

長ったるい記事になりますので、さくっと理解したい方は以下の概略をどうぞ。

尾形の生い立ち(さくっと版)

・裕福過程に生まれるが父の会社が倒産

・貧乏ゆえに狭まる選択肢と荒む精神

・金持ちになりたかった大学時代

・ベンチャーに就職し年収は低浮上

・危機感を覚え転職、年収3倍に

・年収が増えてもリッチにならない日々

では、幼少期からご紹介します!どうぞ!

尾形
尾形

興味ある人いるのか…?笑

幼少期:貧乏家庭への急転落

尾形は千葉県の裕福な家庭に生まれます
祖父が会社を創業、父が二代目社長として従業員30名くらいの小さな会社を経営していました。

地方によくいる小金持ちクラスで、三階建ての一軒家を持ち、別に車がなくとも生活できる地域のくせに車は常時3台くらい保有していました。食卓も豪華で、好きな食べ物はイクラという、クソ生意気な子供でした(笑)

小学生の頃に、祖父が逝去します。肺がんでした。この頃から会社の経営が傾き始めていたようですが、イクラに夢中でそんなことは知る由もない尾形・・・

この頃に父の会社は倒産したのです。

「すまんが、引っ越すことになった」

突然の父の宣告により、2DKのボロアパートに引っ越します

毎晩のように喧嘩する父と母。翌朝に母が顔にアザをつくっていたこともありました。
さすがのチビ助も家庭の異常さにはすぐに気づきました。

尾形
尾形

結構しんどかったです…

金がなくなると心まで荒み、家庭環境も荒れます

ただ、この頃は「なぜ両親が喧嘩しているのか」はあまりよくわかっていませんでした。

青年期:金持ちへの羨望

倒産の件で父はすっかり自信をなくし、放蕩生活。

祖父の会社でしか働いたこともなく、甘やかされて育った40代の元社長を雇ってくれる会社はありませんでした。

中学生時代には「尾形家はまだアパートに住んでいる」と言われ傷つき、まともにお小遣いも貰えない日々にうんざりしました。
多感な時期ですから、無駄に周囲と比べて自尊心がボロボロの状態です。

何より貧乏さにがっかりしたのが大学受験。金がないので私立NG・浪人NG・予備校NGのルールを課されます。

とにかく就職やその後の出世に有利な大学を志向していたため、早慶への入学が一番コスパが良いだろうと考えていましたが、その夢は早くも打ち砕かれます。

尾形
尾形

早慶は縦の繋がりがあるので羨ましいです…

ということで、自分の学力で現役合格できる地方大に入学します。

ちなみに後から「奨学金はお前が払え」と後から言われたので「私立でもよかったじゃん!」と大喧嘩したのを覚えています(笑)

この頃から「貧乏は悪」「自分は絶対にリッチになる」と明確決意します。

大学時代:金持ちになる方法を探す

行きたくもない地方大に放り込まれ、この4年間をどう過ごすべきか悩む日々でした。

実際に通っていた方ならわかると思いますが、地方大って何もないんですね(笑)

本気で勉学にのめり込むにはベストな環境ですが、リッチになることが目的だった僕は入学早々に勉強を諦め、将来金持ちになる方法を模索します。

東京の企業でインターンをしたり、学生団体にも所属していたので、いわゆる「意識高い系」の学生でした(笑)

やがて就職の時期になり、大学同期は地方公務員や地銀などに就職する一方で、僕はベンチャー企業を中心に就活を開始します。

そこそこの小金持ちになるには、JTCに就職して出世するのが良いのでしょうが、就職の手応えがなかったことと、尊敬できる面接官に出会えなかったのが理由でJTCへの就職断念します

尾形
尾形

そもそも書類が通らん()

そして、とあるベンチャー企業から内定をいただき、社会人生活をスタートさせます。

新卒1~3年目:多忙すぎて死にそうになる

新卒で入った会社は「成果を上げたければ人の3倍働け」というとんでもない会社で、実際に大学同期の3倍くらいはマジで働いていました。正直社会人1~2年目くらいの記憶がほぼありません(笑)

よく働いていましたが「よく遊ぶやつは出世する」という上司を教えをすっかり信じ込み、終電まで働き、そこから新橋に繰り出して朝まで飲み、シャワーだけ浴びてまた出社、の繰り返し。相当タフな毎日でしたが、若さと情熱だけで乗り切っていました

尾形
尾形

長時間労働なだけで生産性は低かったですね(笑)

新卒入社から3年が経ち、「とりあえずの3年」が終了しました。若いうちから実力をつけて稼ぐことを目的にベンチャーに就職したものの、稼ぎは全く増えませんでした

また、入社3年目にして大した武器が自分にはないことに焦り、はじめての転職活動を開始します。

新卒4~5年目:戦闘力が上がるも精神が崩壊

2社目に転職した尾形。同業で中堅規模の企業です。年収は400~500万円ほど。

これくらいの年収になると人並みの生活を送れるようになりますが、前職で培った遊び癖が治らず散財しまくる日々。

そして、きっかけは今でもわかりませんが、ある日突然電車に乗れなくなりました

目眩がしてクラクラしたり、常に微妙な吐き気に悩まされるようになったのです。なぜか休日はその症状は出ないのです。

病院にいけば「うつ病」と診断されることは目に見えていたので、行きませんでした。診断されたら気が滅入ってしまい、立ち直るのに時間がかかると思ったからです。

尾形
尾形

精神の不調って突然やってくるんですよね…

体は悲鳴を上げる一方で、社内の評価が上がり、小さなチームを率いるリーダーへの昇格が内定しました。

一方で、マネージャーになるほど個の戦闘力が高いわけではなく、マネジメントに注力するよりもプレーヤーとして力をつけることに専念したいと感じていました。

前職の先輩と飲んでいるときに今後について相談したところ、「良いエージェントがいるから紹介してやる」と言われ、転職エージェントの面談へ。

次のステップに向けて2度目の転職活動を開始しました。

新卒6年目~現在:かつて夢に近づけているか?

3社目への転職。初めての外資、加えて業界未経験でした。この頃、年収は600万円です。

華やかな外資系勤務と思いきや、仕事では怒られまくりの日々。しかし、これまでと働き方や職務内容が違いすぎて「何がダメで、どうすれば改善するのか」がイマイチ分からない日々が続きました。業界未経験とはいえ、社会人数年目でこの状況はこたえましたが、日々少しずつ改善し、少しずつ

転職して1年半で無事に昇進。さらに昇進の翌年も良い評価をいただいて、年収はようやく900万円に達成

20代1000万円まで届くかは微妙なところですが、良く評価していただいているなと感謝しています。

尾形の今後について

今の職場で次の昇進が叶えば年収1100〜1200万円程のレンジに落ち着くと思います。

次のランクまでは社内政治の要素が少なく、「頑張れば到達できる」ランクですので、まずは今の職場で昇進を目指します。

その後はより年収レンジが高い企業に転職予定です。35歳頃までに年収1500万円に近づけるイメージで自己研鑽を続けます。

以上が尾形の生い立ちです。

尾形のコンプレックス満載のストーリーでしたが、僕がサイドFIREを目指す背景は概ねご理解いただけたかと思います。

本ブログではそんな尾形がサイドFIREを目指す家庭を赤裸々に後悔してまいりますので、是非他の記事もお楽しみください!